ギプスを外してから二週間、シーネと呼ぶらしい添え木を包帯で巻いていましたが、これも外して歩いていいということになりました。
なお、1月20日の傷口はこんな感じでした。
綺麗になったでしょ。
とはいえ、だいぶ歩くのは遅いです。つま先を伸ばす方向に足首を曲げるのはよいのですが、つま先を自分の体の方に上げる方向がてんで動きません。アキレス腱のみならず、足の後ろの筋肉が全体で突っ張る感じ。
ここから平均的にはリハビリ三ヶ月程度、目標は怪我した右足片足でのつま先立ち20回だそうで。試練は続きます。
年明け一発目の通院、いよいよ順調ならギプスを外してもらうという約束にうきうき。ギプス最後の写真を撮ってみたり。

さて通院して無事にギプスを外し、簡単な添え木を包帯で巻くだけになりました。すると、歩くスピードはギプスよりかえって遅くなってしまったり。ちょっとショック。やっぱりちゃんとリハビリしないと動けるようにはならないよね、50日もギプスしてたんだから。
さてギプスを外してもらったので、なんと言ってもお風呂です、お風呂。これまで足をゴミ袋と輪ゴムで世話しながら入っていたお風呂に、足を上げずに入浴できます!最初は足だけをバケツでふやかして、手で垢を落とす。軽石も買ってきてもらいました。なんどか繰り返して、晴れて入浴。洗いすぎて、足がヒリヒリしてしまいました。まだ患部は汚く見えますが、これでもすんごい綺麗になった方なんです。

咽頭結膜熱、すなわちアデノウィルス感染症。別名プール熱。突然の高熱が3日~5日程度続くことと、結膜炎・喉の痛みが特徴。
2010年の夏はあまり流行しなかったせいか、この冬になって流行期になったそうです。そんな波に見事にのっかり、12月22日~27日、次男発症。なおその前3日間くらい長男も軽く風邪っぽかったのですが、今思えばアデノだったのかも。
で、39度越えの長男を見て、つらそーだなー、とか思っていたギプス生活の私ですが、12月28日仕事納めを自宅勤務でこなしている中、夕方いきなり発熱の予感。なんとか仕事を終えて熱を測ると、38度近い。翌日も熱は下がらず結膜炎発症、医者では「もうできあがってる感がありますね」と言われながら一応検査、アデノ確定。そこから丸5日間、新年2日の午前中まで38度台と平熱を行ったり来たり。ホントにつらかったです。精神的にも、ギプス生活と重なってますし。年末年始にどこにも行ってやれないという、家族への罪悪感みたいなのが大きいかも。
8割方は5歳以下がかかっているそうですが、大人にも感染することを身をもって証明した訳で。インフルエンザにしても、とにかく最大の予防策は手洗いとのこと。徹底しましょう。
10日間の入院生活で、松葉杖で一通り(階段とか)の生活をマスターしたので、退院となりました。
まずは職場復帰ですが、幸い自宅勤務(テレワーク)を併用してよいというありがたい許可をいただいたので、週3日は自宅勤務。また出勤日もラッシュ時間を避けての通勤となりました。ありがたや。
松葉杖で街を歩くと、ちょっとした坂道の不便さが身にしみるようになり、また人の優しさと切なさ(優先席でも決して席を譲ろうとしないおばちゃんとか)を体感します。手術3週間後から、ギプスに2cmくらいの踵をつけて足を地面につけるようになり、手術5週間後に松葉杖なしで歩けるようになりました。しかし年末年始は病院の休みが長いので不安ということで、年明けにギプスを外そうということでした。松葉杖は写真撮らずに返しちゃいました、残念。
というわけで、ギプスのまま年を越すこととなりました。右足なので車も運転できず、歩けば亀のスピードということで、ほぼ外出は絶望的なわけです。ちなみに医学療法士からアルコールが回ると患部がとても痛いと聞いたので、アルコール断絶を決心。よって忘年会新年会の類はほぼ出席せず、余計な出費はだいぶ少なかったという事もあります。
ということで2010年は幕を閉じるのかと思いきや、とんでもない厄がもう一つ待っていました。次へ続く。
入院中、蒸しタオルを出してもらっていたので、ある程度は体は拭いたりしていましたが、どうにも我慢できないのが髪の毛。しかもバスケ一時間やってたっぷり汗かいた後、シャワーすら浴びてこれなかったんで。。。
で、奥さんが買ってきてくれたのがドライシャンプーです。私は恥ずかしながら、ドライシャンプーなる存在を知ったのは初めてです。
これである程度の爽快感を得たのでした。お勧めです、入院生活には。
さて手術してある程度動けるようになると、実に入院生活が退屈になって参ります。病院なので電波を発する携帯電話であるスマートフォンを使う訳にもいかず。よってアナログの暇つぶしです。妹が持ってきてくれたのが、海堂尊の本をたっぷり。
だいぶ読みふけりました。後はウォークマンでのワンセグですかね。いまだに病院は、アナログテレビなのに、プリペイドしたカードを入れないと見られないという江戸時代のような仕様。地デジ化は当分先だなこりゃ。
入院二日目。入院の翌月曜日の回診にて、アキレス腱全断につき手術の方が断然直りが早い(自然治癒だと半年以上かかる)という説明を受け、ちょうど夕方なら手術可ということで、すぐに手術することとなりました。
手術は半身麻酔。麻酔って本当にすごいですね、注射一本でちゃんと右足だけが麻酔がかかる。手術中はうつぶせだったので、声・音だけでお楽しみください、という状態。正味90分ほどで手術は終わり、またもやベッドに縛りつけ状態。夜中に麻酔が切れて、痛み止めの座薬を一度お願いしました。いやこのあたりは慣れない病室生活もあって、本当につらかったです。
翌日、入院三日目からは車椅子での移動はしてよいということになり、トイレは行けるように。で四日目に松葉杖をレンタルし、五日目からリハビリというか松葉杖歩行練習開始。なお足は手術した日から退院するまで、ギプスで完全固定です。冬でよかった。
入院中は食欲もありませんでしたが、辛かったのは食事(薄味)と夜のイビキですね。内臓の病気ではないので、いたって普通の食事ですが、とにかく味が。。。ふりかけ・魚肉ソーセージなど差し入れてもらい、なんとか。
イビキの方はですね、同室メンバが揃いも揃って、ギャグみたいな騒音を発します。フロア中に響くくらい。夜中に看護士が「大丈夫?寝られる?」と何度も聞いてくるくらいでした。いや参った。
しかしですね、アキレス腱をつなげるなどという手術を簡単にすぐにやって、目立って痛いのは翌日くらい、とは何とも医療はすごいなぁと。手術も入院もすぐにできる病院が近いというのはすごいことだなと、改めて思ったわけです。(3)へ続く。
11月の最後のバスケの練習中のことでした。練習始まって1時間ちょっとしたころ、ゲーム形式の練習で走っていて、方向転換しようと踏ん張ったときに、「バン」と大きな音が。”あれ?後ろからボールでも当てられたか?” と思って振り向いても何もない。次の瞬間、”痛ぇ。。。” と崩れ落ちてしまいました。
アキレス腱断裂です。ちなみにこの体育館で、今年二人目。どこかで聞いた音だと思ったヨ。
日曜の夜なんで、どこの病院に電話してもダメで、結局救急車に乗せられました。人生初の救急車です。ショックでブルブルと手と胸が震えてるのが分かります。ま、救急隊員にとってはむしろ軽症で、「アキレス腱は死にませんからね。落ち着けば震えはとまりますから。はい深呼吸。」と小ばかにしたようなアドバイスをいただきました。
奥さんが電話で断られた病院のリストを救急隊員へ渡して、そこ以外の病院へ隊員が連絡を取り始め、二つ目の病院で受け入れOKということで行くこととなりました。よくたらい回しとか新聞に載ってますけど、満床とか外科の医師が当直にいないとか、いろいろあるんですね。救急車の中はとても明るかったという印象ですが、とにかく震えて寒いのと痛いので。。。
病院でレントゲン・CTを取り、無事(?)アキレス腱断裂と確定し、足を固定してそのまま入院となりました。夜11時頃には病室へ。歩けないので、お小水は尿瓶で取らねばなりませんが、慣れない病院のベッドでは出るものも出ず、つらい夜を過ごした訳です。(2)へ続く。
ここのところ立て続けに、友人たちに新しい命が授かりました。産科におしかけてみると、慣れないパパさんが初めてのミルクをあげてたり。いや懐かしい。ほんとに。首も据わってない子なんて、怖くて抱けないなぁ。
ところで内祝いに選べるギフトをいただいたんですが、昔に比べてずいぶんあれ良くなりましたね。いろいろ選べて、小さい子供のいる我が家にはとてもありがたいです。
そして、さまざまな出産時の話とか、友人の子育て奮戦模様を聞いていると、本当に我が家は大病もせず健康に育っているもんだなと感じます。幸せなことです。突然高熱を出したりする子は結構多いようですし、病院に担ぎ込むなんて事は皆さんよくされているようですから。
一応社員旅行です。6家族くらい参加で、残りは独身もしくは家族不参加な社員たちで、なんだかんだ40人以上はいたんじゃないでしょうか。
福島の現地に土曜の夕飯までに集合ということで、我が家は朝一で大洗アクア・ワールドへ。ゴールデンウィークは、朝早くでて14時になっても着かなかった、苦い思い出があるので、早めに家を出たら9時の開館前に着いてしまった。おかげでショーもペンギンもたっぷりと見ることができました。
夕方からの大宴会は、家族参加でとても楽しむことができました。幹事さん、ご苦労様でした。
さて翌日は、チェックアウト後にスバへ。スライダーは身長制限でうちの子たちはNGなので、流れるプール中心で。小さい子用のすべり台もいくつかあり、お約束のフラダンスも堪能し、それなりに過ごすことができました。